沖縄 居酒屋の結びつき
一九七0年代の同社は、清涼飲料業界で、革命的な先導力をもってリードするというよりも、その場限りで一貫性のない、統一性に欠ける企業だった。
一九七一年に、一九六二年以来社長を務めてきたポール・Oが会長に就任した。
数々の問題があったにもかかわらず、同社は莫大な利益を上げ続けてはいた。
しかし、その余剰利益を、本業の清涼飲料の分野に投資するのではなく、利益率の低いウォーター・プロジェクトと海老の養殖、それにワイン醸造所の買収など多角化に向かったのであった。
株主は、K社はアルコール類には手を出すべきではない、とこのワイナリーの買収には猛烈に反対した。
Oは、批判をそらせるために、従前にない大きな金額を広告宣伝費に注ぎ込んだ。
この間、同社は、株主資本利益率二O%を維持し続けている。
しかし、売上利益率は下降線をたどった。
一九七四年の下げ相場の終わり頃、時価総額は二二億ドルであった。
それが六年後の一九八O年には四一億ドルとなった。
この間、同社の時価総額は年平均五・六%増加したことになるが、これはS&P五OO種平均をはるかに下回った数字である。
その六年間に留保した利益は、一ドルについて一・O二ドルの時価総額をつくり出したに過ぎなかったのである。
同社の企業としての悩みは、Oの行動によって増幅された。
彼は威丈高で近寄り難く、しかも彼の妻ジーンが社内に破滅的な悪影響を与えていた。
本社屋をモダン・アートで飾り立てた。
自分の美術品収集のために社用ジェット機を使用することまでやった。
しかし、これが夫の没落の足を引っ張る最後の愚行になったのである。
一九八O年五月、ジーンは、食べ残しに鳩が集まって芝生を荒らす、という理由で会社の公園で社員が昼食をすることを禁じる命令を出した。
社員の士気は過去最低にまで落ちた。
Rは、一九二三年から五五年にかけて同社を率いた実力者で、九一歳の当時も財務委員会の会長を務めていたが、彼はついに意を決して、Oに辞任を迫り、Rを後任に据えることに成功した。
ゴイツエタは、キューバ生まれ。
K杜初の外人CEOであった。
彼は、Oとは対照的に外向きの男だった。
初仕事は、全社の上級幹部五O人をカリフォルニア州パームビーチに集めてのミーティングであった。
彼は、「われわれがやっていることの、どこが悪いか言って欲しい。
すべてを知りたい。
その解決がついたら、一OO%の忠誠を尽くしてくれ。
それでもし不満だったら、よい条件を出すから出て行ってくれ」、と説いたが、このミーティングから同社の企業目的の概略が記された、九OO語からなる二九八0年代の戦略。
が生まれた。
Gは経営陣に対して、理屈の通ったりスクをとることを奨励した。
彼の望みは、何かに反応して受け身に動くのではなく、K杜が主導権を握ることだった。
新任のCEOによくあるように、彼も経費節減に手をつけた。
さらに、傘下のすべての企業に対して、利益率を最大化することを求めた。
これらの施策の効果は、直ちに利益率の改善となって現われた。
一九八O年の同社の税引前の売上利益率は三了九%という低率であった。
これで五年連続の低下で、一九七三年の一八%に比べて、はるかに低率である。
ところが、G就任最初の年に一三・七%へと上昇を示し、Pが初めてK株を買った一九八八年には一九%へと急上昇していた。
。
一九八0年代の戦略。
のなかで、Gは、株主資本利益率が許容される水準を下回るようになった業務分野は切り捨てる、と表明している。
また、新しい業務分野のベンチャーは、投資を理由づけるのに十分な実質的な成長の可能性を持つものでなければならない、とも記されている。
停滞した市場でシェア争いをするような愚かな試みはもうしない。
Gは、「一株当たり利益を伸ばし、株主資本利益率を上げることこそ引き続いての目標だ」と説いた。
会長のこの言葉は、行動によって裏付けされている。
ワイン事業は一九八三年にS杜に売却された。
株主資本利益率は一九七0年代の問、二O%という好水準にあったが、Gはこれに満足せず、引き続き改善を要求、一九八八年には二二・八%を成し遂げた。
どんな指標に照らしても、G率いるK社は、O時代の業績を二倍、三倍にも伸ばしている。
その結果は、時価総額の動きに見ることができる。
一九八O年の時価総額四一億ドルが、一九八七年末には一四一億ドルに増加した。
これは同年一O月のブラックマンデーの暴落後の数字である。
七年の聞に、平均一九・三一%の伸びであった。
四・六六ドルの市場価値をつくり出したことになる。
この間の留保利益の・一ドルについてGの一九八0年代への戦略は、株主を十分に意識したものになっていた。
「来たる一0年間、われわれの行動は、すべて株主の付託によるものと肝に銘じ、株主が投下した資金を守り、増殖することに力を尽くすであろう。
そして、投下資金に平均を超えるリターンを提供するために、われわれはインフレ率を超える利益率を上げることのできるビジネスを選ばなければならない」彼は、資本投下を必要とするビジネスを伸ばさなければならないと同時に、株主資本の価値を増加させなければならなかった。
そのためにK社は、売上利益率と株主資本利益率を上げることによって、増配しながらも配当性向を低下させることができたのである。
一九八0年代には、配当は年率一O%ずつ増加し続けたが、配当性向は六五%から四O%へと低下している。
そのおかげで、同社は、利益の大きな部分を再投資に回すことができた。
そして、それによって成長率を保ち、一方では、株主を裏切ることもなくすませたのであった。
毎年の年次報告書は、財務内容の報告と、重点目標について説明する経営トップのメッセージで始まっている。
経営の重点目標は、長年にわたって、株主の価値を最大限に高めること。
である。
そして、会社の事業上の戦略は、長期のキャッシュフローを最大化することである。
そのためには、利益率の高いソフト飲料への投資に重点を置き、既存事業の利益率を高め、資本コストを適正な水準にするように努める。
これらの施策が成功すると、それはキャッシュフローの増加、株主資本利益率の改善として見られ、株主への総合的な還元率が高まる。
キャッシュフローの純増によって、増配と市場からの自社株買い入れが可能になる。
一九八四年、同社としては初の自社株買いを決めて、六OO万株の買い入れを発表した。
その後も毎年買い入れを行なって、一九八四年初めの発行済株式数の二五%を超えて総額は五三億ドル、四億一四OO万株となっている。
一九九三年末現在、この買い入れ株の時価総額は一八五億ドルになっている。
一九九二年七月、同社は、二OOO年までにさらに一億株(発行済株式数の七・六%)を買い入れる予定であると発表した。
海外市場への積極的な投資と並行して実行できるというのはすばらしい。
ゴイツエタは、同社にはキャッシュフローをつくり出す優れた能力という、しっかりした裏付けがあるから、これは十分可能であり、一九九三-九六年の聞に、資本支出後の剰余金から、買い戻し原資として三O億ドルの枠がとれるという。
一九七三年、オーナー収益(純益と減価償却費の合計から資本支出を差し引いた額)は、一億五二OO万ドル。
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